マブハイフィリピン

フィリピン生活の日々の記録

導かれる様に進んだ人生。

20才でステーキ屋をオープンし狂牛病問題による売上激減で10年近く続いた店を閉店し


生簀もある多国籍料理の居酒屋を郊外に出すも、5年目にして福岡の飲酒運転事故でおカマを掘られた家族5人が乗った車が海に堕ち子供が亡くなるという痛ましい事故をきっかけに飲酒運転の罰則が厳しくなり、お客さんの客足を遠のくのを防ぐために送迎車を購入するも

売り上げ激減に耐えられず、次の飲食店をオープンするも立地の良い場所に店を構えたものの家賃と人件費に売上を食われ


俺は家賃と人件費の為に仕事してるのかと、日々思う様になり一緒に働いていた嫁に毎日大声で当たる様になった。

次第に飲食店にやる気が無くなりついに飲食店から足を洗う事を決意した

親友に相談すると店を買い取ってくれた。


その時に不要な物を処分する為に(若干改装する為に出た金物類)を友人が地金屋等に売りに行く仕事をしていたので、どこに持って行けば良いのか聞くと色々と仕事の内容を教えてくれ家電や金物を回収して売りに行く仕事に付いた


ひとまず軽トラを購入し昼間はスピーカーから

「要らなくなった家電や鉄くず等無料で回収致します、壊れていても構いません」みたいな感じのネットで買ったCDをかけながらゆっくり住宅街やマンション街を流してゴミ集めをして日銭を稼いでいた。


途中から建築の仕事を喧嘩して辞めた先輩も加わり夜は不燃物の日に空き缶や鉄屑をゴミ置場から頂戴し翌朝地金屋に売りに行き日中はスピーカーを鳴らしながら回収をしていた。


なんか俺達空き缶を自転車で回収してるコジキより、車にグレードアップしただけでコジキとかわんないっスよね〜とか言いながらもそれなりに日銭にはなるのでガマンしてやっていた


こじきデラックスだ。


ある時地金屋に出入りしていると同じく資源回収している中国人青年のセイさんと知り合った


私の地元は古くからある地金屋は在日が経営している会社が多く、新興の地金屋は中国人が経営している会社が多い。

俺たちは新興の中国人経営の方が買取価格が高かったのでそっちにいつも売りに行っていた。


そのセイさんと仲良くなり、セイさんが、トーマスさん、空き地を借りて持ち込み無料、引き取り料軽トラ一杯2,000円とかでやった方が儲かりますよ!とアドバイスを貰った。


早速車通りの多い空き地を探して不動産屋に交渉し空き地を借りる事が出来た。


飲食店をしていた時に知り合った印刷屋に電話をし、垂れ幕や横断幕を作ってもらい空き地に看板を作った。


セイさんのアドバイスでテレビとか掃除機とか商品ごとに区画を決めて昼間回収したのを売りに行かないで空き地に綺麗に並べた方が良いよ

物が置いてないとみんな持って来ないから。


皆んな恥ずかしいのか、警戒してるのか、誰も居ない夜とかに持ち込むからね!テレビはテレビのところにちゃんと置いていくよ!


日本人マジメだからな!って。


すると本当に毎朝物が勝手に増えて、置いている物が多くなるにつれ集まるスピードが加速した。


昼間は空き地で待機しているとひっきりなしに持ち込んで来る人も多くなり、同時に引取り以来の電話も携帯にジャンジャンなるようになった。

写真はセイさんとセイさんのお母さん。

中国に一緒に行った時の思い出。


そうなると空き地をもっと借りてしまおう!

って事になる。

家電回収法が決まり家電(テレビは3,000円位)を処分するのにお金がかかるようになった。


そんな時期だった。


もう風は完全に俺達に吹いて来た。

暴風の様に。


ヤフオクで売れる物や貿易屋が買い取るもの、原チャリは先輩が修理出来るから修理して空き地で売ったりした。収入も2人で両手じゃ足りないくらいになってきた。空き缶拾いのコジキから

もう地金屋に軽トラで持ち込むのも追っつかなくなり地金屋が13トントラックで毎週引取りに来てくれるようにした。


積込中に油圧ホースからオイルが吹き出し修理してるとこ